指揮者のいないオーケストラ
指揮者のいないオーケストラとして某室内オーケストラの演奏を紹介します。
いかがですか?
素晴らしい演奏ですね。
しかしながら、やはりアンサンブルに粗さが目立ちますね。
ここで、指揮者のいない「東京アカデミーオーケストラ」( 以下 TAO と省略 )についての山下 ゆかりさんの
記事 (2011/09/27)を紹介します。
山下さんの記事では、組織を運営する手法としての「オルフェウス・プロセス」に主眼を置いて書いておられるようですが、
ここでは主に「音楽作り」について注目していきたいと思います。
この記事の中より、オーケストラのメンバーへのインタビューから少し引用させていただきたいと思います。
======引用======
「指揮者がいる場合だと、指揮者の期待にいかに応えられるかという気持ちが強かったのですが、
TAOでは自分から音楽を発信し、メンバーから発信された音楽を受け取るといったセッションが醍醐味なんです」(室住さん)
「音楽のつくりかた自体が根本的に違う」と横山さん。自分のパートの譜面だけ見ていても指揮者がいればそれなりに成り立つのだが、
TAOでは他パートが何をやっているか知りつつ弾くことが必然だという。
「同じ景色が見えているかどうか。壁画をかくのに、全体像を知っておかないと、
自分のところだけただ塗るというわけにはいかないのと同じ
それでも曲の全体像はわかっていても、
テンポやコントラストなどの方向性をセッションで合わせていくから、結果的に始めに自分が思っていたのと違う絵になることもあって、
それが面白い」のだという。
======引用終わり======
結局のところ、音楽作りにおいては
「全体像を知っておかないと」いけない
「全体像はわかっていても」
「同じ景色が見えているかどうか」
だから
「自分から音楽を発信し、メンバーから発信された音楽を受け取るといったセッションが醍醐味」
となります。
これは、とても意味深い発言ですね。
それでは、その東京アカデミーオーケストラの素晴らしい演奏を紹介します。
モーツァルトの交響曲第四十一番 ハ長調(ジュピター)です。
と言う事で、次のページから指揮者の役割について
1;指揮者のいないオーケストラ
2;音楽の全体像を把握する
3;テンポ
4;音楽の始め方・終わり方
と言う観点に基づいて話を続けていきたいと思います。